どこかしら痛い

オッサンと呼ばれる歳になると、常にどこかしら痛い。

朝起きると何故か右足首が痛い。サポーター。
昼過ぎ、何故か背中が痛い。バンテリン
夜。何となく目の奥が痛い。目薬。
就寝。

朝起きると、足首の痛みは消失。左手首が痛い。バンテリン
昼過ぎ、頭痛。ロキソニン
夜、胃のあたりが痛い。胃腸薬。
就寝。

 

このように、毎日どこかが痛い。
激痛ではないし、すぐ治るので病院に行くほどではない。
いわゆるOTC薬で対応できてしまうし、別に薬を使わなくても問題ないのかもしれない。
だから大丈夫だとは思うのだが、誰それが大病したとか見聞きすると、背筋に冷たいものが走る。

 

痛みの理由が明らかであればそれほど怖くないのよ。
足を捻ったとか、重い物を持ち上げたとか、寝違えたとか。
原因と結果が明確だったから、痛みも「納得できる痛み」だったのだ。

ところが今は、「何もしてないのに」痛い。
この痛みには納得できない。
たぶん医者にみせても様子を見ましょう。付き合っていきましょう、と言われてモーラステープとかロキソニンなどを処方されて終わるであろう、地味な痛み。

 

地味な痛みの野郎、なんて卑怯なんだ。
医者に行くほどでもない痛み、行かれたとしてもさほど問題視されない痛み攻撃を私に加え、治療されて消されることもなく、安全圏から地味に私の生活にストレスを与えてくる。

周囲の人も、この程度ならさほど心配したり関心を持ってくれたりはしない。

孤立作戦。

実に巧妙な戦略。孔明の策としか思えない。

 

ドラッグストアの会員になり、少しでもお得にサポーターや湿布を手に入れるしかないのか・・・。

 

だが、こうも思うのだ。
この「地味な痛み」は、体からの何らかのメッセージではないかと。
そのメッセージを地味な痛みで知らせてくれているのではないか。

そう考えると、今日の足首、昨日の肘、先週の肩。
あれもこれも、何らかのメッセージに思えてくるではないか。

なのに私は、湿布を貼って黙らせ、ロキソニンで無理やり黙らせ、サポーターで押さえつけてきた。
メッセージを無視し続けてきた。

 

このままではいけない。
体ともう少し向き合おう。
耳を澄ませて体からのメッセージに耳を傾けよう。

 

 

・・・老化ですか。